サンテチェンヌ大聖堂

リモージュのシンボルの一つがこのサンテチェンヌ大聖堂(Cathedrale St.Etienne)。フランスの大聖堂(カテドラル)と言えばパリ(Paris)のノートルダムをはじめ、ランス(Reims)、アミヤン(Amiens)などが有名ですが、ここリモージュの大聖堂は少々変わったスタイルをしています。ノートルダムなどは鐘楼(塔)が二つ対となって並んでいますが、リモージュは一つ。そのスタイルはこの地方独特のもので全体に地味な印象です。建物全体はゴシック様式にまとめられていますが、実は13世紀から19世紀までの長きに渡って建設が繰り返されて今日の姿に至っています。
この地にローマ帝国の街が造られた時代、現在大聖堂のある場所は街の中心とは隣り合う丘の上にあたり、寺院が建設されていたと言われています。元々から宗教的な場所だったようです。ローマの街が崩壊した後、11世紀初頭に教会堂が建てられ、同世紀の終わりにローマ法王公認の聖堂となります。しかし当時の建物の規模は現在のものよりひとまわり小さく、現在の大聖堂の鐘楼下層部と中央祭壇の地下に当時の遺構が残っています(非公開)。
現在の建物の基礎となる建設は13世紀の後半、中央祭壇と奥(後陣)の部分から始められます。14世紀後半からは鐘楼部分の建設を再開。戦争などの理由によって幾度も工事が中断されながらも19世紀後半に至るまでに少しずつ規模を拡大してきました。鐘楼部分は長い間、本体とは独立した建物として存在していたことが残された絵画によってもわかります。現在のように一つのまとまった聖堂となったのは19世紀後半に始まった最終工事によってでした。 その結果、当初はロマン様式でスタートした工事は六百年を経てゴシック・スタイルにまとめられました。

右は19世紀中頃の大聖堂を描いたもの。その後の最終工事で大きく様変わりしたことがわかる。
(出展「La Cathedrale de Limoges」 Michel PENICAUT著 )
大聖堂・最近の一喜一憂
一喜 : 2004年から大聖堂前の広場で発掘調査が行なわれ、大変大きな成果が得られました。前述のように現在の大聖堂の建設が始められる前の、12世紀以前の教会堂遺構が姿を現しました。ここにはフランスでも稀な大規模な洗礼用浴槽が設けられ、形も大変珍しい六角形であることが判明。壁面も大理石や緑色斑岩(はんがん)で飾られ、財力豊かな環境にあったこともわかりました。この発掘現場は再び埋め戻され、大聖堂広場は現在、保存を兼ねた再整備工事が行なわれています。

2005年の発掘の様子。写真右は同じく大聖堂の隣、市立司教区美術館前で行われている発掘。石造りの見事なアーチが見える。
一憂 : 2004年秋、外壁修理のため大聖堂の後陣部分に足場が組まれていましたが、深夜酒に酔った若者達が侵入し大聖堂の誇りでもあった大ステンドグラス数枚が無惨に壊されてしまいました。制作から400年の歴史を生き抜いてきた財産が若者の愚かな行為によって一瞬にして帰らぬものとなってしまったのです。翌日の地元ニュースでこれを知った時は私も大変なショックを受け、強い憤りとやるせなさを感じました。現在、壊された部分には味気ないガラスがはめ込まれ、外から眺めても一部迫力の無い様相になってしまいました。本ページトップの写真はこの悲劇以前に撮影したものです(と言っても細かな部分なので一目では現在と変わりませんが)。聖堂内には修復費のための献金箱が設けられています。

月夜にライトアップで浮かび上がる大聖堂。ゴシック典型の火炎形窓枠「フランボワイヤン様式」が見事。























