リモージュと日本

1. 島崎藤村とリモージュ

 果たして日本人で初めてリモージュを訪れたのは誰だったのでしょうか。

 このような地味なテーマに答える資料を期待するのは難しそうですが、明治維新の開国以来、ヨーロッパを訪れる日本の勇士達が辿ったコースのひとつに地中海にあるフランスの港町マルセイユに上陸、そこから北上しパリ、あるいはドイツ方面へ向かう方法があったことから、あるいはその途上でリモージュに一宿一飯した人物が存在したかもしれないと思うと何だか楽しくなります。

 知り得る中で最初にリモージュに登場する日本人は、かの有名な浪漫派の詩人、小説家の島崎藤村です。1913年からの3年間、パリに滞在していた藤村は14年に勃発した第一次世界大戦の戦火を逃れる為に、約半年間リモージュに疎開していたということです。現在、街の中心部からヴィエンヌ川を渡った反対側の地区に藤村が滞在していたとされる住居が現存しています。

 

2. 学生の交流

 パリに何千人という単位で日本人が住んでいるのとは対照にリモージュに住む日本人は僅か十数人。その大半が交換留学生としてリモージュ大学で勉学に励む明治学院大学の学生さんです。前述の島崎藤村が明治学院大学の出身であったというのが交流のきっかけとのことですが、実際には教授同士の深い親交の賜物であるとは実際に学生さんから伺った話です。

 

3. 姉妹都市

 2003年11月、愛知県瀬戸市とリモージュ市は姉妹都市協定を結びました。お互い焼き物の産地として長い歴史を誇る街同士、経験と技術を共有して今後の産業の発展をめざす目的です。

 特に瀬戸市では2005年開催の愛知万博「愛・地球博」を主眼に、日本の地方自治体としては異例の在リモージュ瀬戸市事務所を設置。2006年春までの在所期間、産官学をとおした産業・文化交流の橋渡し役として機能しました。

 セラミックス技術のシンポジウムや市民交流事業をはじめとして、2004年11月にはリモージュ市庁舎に於いて瀬戸焼きの魅力を紹介する展覧会「SETOYAKI」が開催、大きな反響を呼びました。また一方の瀬戸市では2005年の夏、万博開催期間中に「世界焼き物大博覧会」を開催。特に七月をリモージュ月間と位置付け、リモージュ焼を体系的に日本に紹介しました。

SETOYAKIポスター 「SETOYAKI展」のポスター

 お互いの姉妹都市交流を記念して、リモージュ市ではリモージュ・ベネディクタン駅を一望する道路に「SETO通り」が命名され、また瀬戸市側では市民交流センター「パルティせと」前の広場に「リモージュ広場」の名が与えられ、リモージュ市章のプレートが埋め込まれています。

SETO通り 01 SETO通り 02

 

 今年(2006年)も企業同士の交流や交換学生、スポーツ団体の交流が行なわれました。姉妹都市交流は今後も続けられます。

4. 音楽

 リモージュでは毎年夏「Epsival」(イプシヴァル)と呼ばれる金管楽器を中心とした音楽祭が開催され、毎回日本からもアマチュア・ブラスバンドの方々が参加され、好評を博しています。

 また二年に一度、リモージュ市とリモージュ国立地方音楽院(コンセルヴァトワール)が中心となって「Concert des Cites Unies」(コンセール・デ・シテジュニ)というコンサートが開かれます。これはリモージュ市が姉妹都市関係を結ぶ各国都市の音楽院の学生を招聘し合同オーケストラを組織するもので、それぞれの都市が自国のオーケストラ曲を持ち寄り全員で演奏します。2005年度は新しく姉妹都市となった瀬戸市からも学生演奏家(金管・打楽器の女性チーム)が参加し活躍しました。日本からの楽曲は外山雄三氏の「管弦楽のためのラプソディー」でした。

 次回の開催は2007年です。

コンサート・ポスター コンサートのポスター