アンリ・パリー氏インタビュー

アンリ・パリー氏近影1

-アンリ・パリー氏は生まれも育ちもリモージュ。まさに生粋のリモージュ職人。まずは磁器工芸家の道に入ったきっかけからお伺いしましょう。

アンリ・パリー氏(以下H.P): 私の両親は二人とも、ここリモージュで磁器製造会社に勤めていました。それぞれ母は七宝細工師、父は窯入れの職人でした。そして私の兄弟たちもまたこの業界へ入っています。これは私の家族に限らず、リモージュにはそうやって代々この業界に携わっている人々がたくさんいるのです。  

 私の場合はまず15歳の時に工芸の専門学校に入りました。もちろんリモージュにある学校で専攻は磁器装飾でしたが、手作業による伝統の装飾だけではなく、あらゆる装飾技術と、それに磁器制作そのものも学びました。つまり全ての工程を学ぶ事が出来たわけです。

 卒業してからの5年間は、この街の小さな工房に勤める事になります。そしてその工房に勤めながら半独立した形で自分の工房も立ち上げました。半勤め人、半独立職人になったわけです。この時期はまだ装飾一筋でしたね。型作りや白素地の生産も含めて全ての工程にたずさわるようになったのは、完全に独立して会社を設立してからになります。

- その会社が有名な「PV」(ペー・ヴェー)ブランドとなるわけですね。 

H.P:そうです。1977年にギイ・ヴィエイユ氏とともに工房を構えました。そして85年に二人の名字(Parry、Vieille)の頭文字を合わせた「PV」の工房印をブランド・マークとしたわけです。五年後には工場を手に入れて、それまで下請けに任せていた白素地(白磁)の製造も開始します。その関係でこの時期は従業員もずいぶん増えていました。

 「PV」は2001年に工房を閉鎖しましたが、それまでの16年間、実にいろいろなリモージュ・ボックスを作りましたね。創業当初は伝統的な箱形や卵形のものを作っていましたが、コレクション・ブームの到来で様々なモティーフをテーマに作るようになったのです。  

- まさにリモージュ・ボックス・ブームの歴史とともに発展してきたわけですね。  

H.P:現在、ヴィエイユ氏と私は二つに分かれて別々の会社となりましたが、お互いすぐ近所に工房を構えていますし、二人とも以前と変わらずリモージュ・ボックスをメインに制作を続けています。「PV」時代の資産である原型やモールド(鋳型)は二人で分け合って管理し、必要に応じてお互い自由に使えるようにしています。

- 「PV」時代から続くパリーさんの作品は、世界中の多くの愛好家を魅了していますが、その中には有名人もたくさんいらっしゃると思います。

H.P:私が直接会ったわけではありませんが、ディストリビューター(販売店)から聞いた話によると、そうですね、いま思い出せる中では例えばニナ・リッチさん、俳優ではアーノルド・シュワルツェネッガー氏やポール・ニューマン氏でしょうか。映画関係の方は多いですね。私のカタログのなかには、例えばディレクターズ・チェアーやムービーカメラをモティーフにしたものがありますから、恐らくそういったモデルがアピールしたのではないでしょうか。 

HP-カメラと椅子 ハリウッドで人気というムービーカメラとディレクターチェアー

- 現在どのくらいのモデルをお持ちですか?

H.P: (仕事場の奥からノートを取り出して)「PV」工房を閉めた時点で890個を越える型がありましたね。それに対して絵付けのパターンを合わせると、、、ここには4270の参照番号が記されています。これが2001年時点ですから、それから後の新しいモデルも合わせるとさらにかなりの数になりますね。

- 日本のリモージュボックス・コレクターの皆さんに一言お願いします。

H.P: 自分の気に入ったモデルを選んでいただくのは当然ですが、コレクターの中には後々価値が上がることを期待して購入される方々もいらっしゃいます。そういう方たちにとっては、ここ5〜10年ほどは大変厳しい状況にあります。というのも、質的にあまりにも大きな隔たりのあるものがたくさん入り乱れてしまって、皆混乱してしまっているのです。

 ですから、皆さんにまず注意していただきたいことの一つは値段です。あまりに安すぎるものが問題外なのは言うまでもありませんが、ある一定クラスの値段がついているものは、やはり品質に由来するそれなりの理由があるのです。では、逆に高価であればそれで良いのかと言えば、それも違います。同じ型から作られたものでも、絵付け師のレベルによって全く違うものになってしまうのです。たくさんの職人を抱える大規模な工房では特にそのような問題が起こりがちです。先日、他の場所で若手の仕事ぶりを見る機会がありましたが、生活のために仕方なく絵付けをやっているのかと思うほど技術も拙く、情熱も感じられない、心の痛む光景を目の当たりにしました。

 審美眼を磨くためには多くの経験が必要だと思いますが、しっかりした相場感覚と、そしてなにより信用のおける工房で作られたことが証明できる作品を選んでいただくことが大切であると思います。

- どうもありがとうございました。

HPアトリエ風景 アトリエ風景

 インタビューを終えて:

 パリー氏の工房には、いままで作り上げた数多くの作品が並べられており、まさにリモージュボックスの博物館を見るような趣でした。ブームの到来に乗った粗悪品の混入、次世代を担う職人の減少や技術の低下を心配する意見も印象的でした。それはリモージュボックスの先端を牽引してこられたからこその視点といえましょう。工房ではさらに精巧な新しい作品が試みられています。今後のパリー氏の作品にも大いに期待をします。

インタビュー 2006年春

ギイ・ヴィエイユ氏インタビュー

ギイ・ヴィエイユ氏近影1

- それではまず、磁器工芸家をめざされたきっかけからお伺いしましょう。

ギイ・ヴィエイユ氏(以下G.V) : わたしはこのリムーザン地方の生まれですが、ちょうど14歳の時、つまり義務教育過程を終えた時に、絵を描くのが好きだった私を見て指導教官がリモージュの工芸学校への入学を薦めてくれたのです。  

- その頃すでにクリエーターとしての才能を認められていたわけですね。

G.V :その工芸学校の先生のおかげで、わたしはすっかり職人世界の魅力や情熱の虜になってしまいました。夢中になって勉強し、職業適正証書を取得して卒業したあと、およそ五年間はリモージュのいくつかの工房で働きました。そして1977年にアンリ・パリー氏とともに工房の設立を決意したのです。私の役目はモデル(原型)の制作と装飾でした。その頃、リモージュボックスは主にアメリカ向けに作られていましたが、長方形や楕円型、卵形などシンプルなシェイプのものが主流でした。そこで私が旅行へ行った時のスケッチをもとに、まずスイカをデザインしたボックスを作ってみたのですが、これが人気を博し、これをきっかけにフルーツを題材にしたシリーズを出したのです。その後多くの工房が新しい形のリモージュボックスを作るようになり、動物をはじめとする様々なパターンが登場し始めました。

フルーツのリモージュボックス ヴァリエーションのもととなった作品

- つまり、お二人の工房が現在のリモージュボックスのトレンドを作り上げたわけですね。  

G.V :その頃、私たちの工房はまだブランド名がありませんでしたが、これらのヒットを機に商標を作ることになり、「PV」というブランドを立ち上げました。工房を開いてから8年後のことでした。  

- そしてリモージュ・ボックスの名ブランド「PV」の歴史が始まります。

G.V : 「PV」の作品はアメリカをはじめ、ドイツ、日本、アラブ諸国などで発表されました。その当時から私の作品をコレクションしてくださっている有名人もたくさんいます。ヒラリー・クリントンさん、マイケル・ジャクソン氏、イギリスではエルトン・ジョン氏、、、、。 

 日本へは『フランス革命200周年記念』(1989年)の文化行事として招待されて、東京や大阪、京都、名古屋、長崎などをまわったのですよ。各都市で制作の実演を行ないましたが、皆さん大変に興味を持ってくださったのが印象的でした。磁器制作の指導をなさっているというご夫人は、私たちの旅程に合わせて各地を着いて来てくださって、熱心に見学をしておられましたね。  

GVアトリエ風景2 パートナーのナタリーさんと共に

- 作品作りのインスピレーションはどんなところからくるのですか?

G.V :新しいアイデアの多くは私の旅行がヒントになっています。先ほどもお話ししましたが、例えばさまざまなフルーツをモティーフにした作品はアンティル諸島(西インド諸島)を訪れた時に描き貯めたスケッチが元になっています。スケッチを描く習慣は今もずっと続けていますよ。 

 現在、私は大変優れた装飾工芸家ナタリー・ファルジュさんをパートナーとして、常に変わらぬ情熱をもって新しい作品の制作に取り組んでいます。もうかれこれ35年以上もリモージュ・ボックスを作り続けていますが、この仕事の深遠さは、まだまだ私にその秘密のすべてを明かしてはくれないのです!  

- どうもありがとうございました。  

GVアトリエ風景3 アトリエ風景

インタビューを終えて :  

 リモージュボックス制作の第一線を歩み続けておられるにも関わらず、謙虚な姿勢で作品を作り続けるヴィエイユ氏。気温の変化に応じた絵の具の調整や品質管理の秘訣など、きめ細かなノウハウのお話を伺っていると気が遠くなるような思いでした。まさに長年の経験があればこその職人技。常に非常な好奇心で取り組むご様子に、みずみずしい新作創造の秘訣を納得した次第です。

 ヴィエイユ氏の新作も順次ご紹介してゆきます。是非ご期待ください。

インタビュー 2006年晩夏

アラン・グラフイユ氏インタヴュー

アラン・グラフイユ氏近影

アラン・グラフイユ氏は約800年続くリモージュ七宝焼の伝統技法を受け継ぐ工芸家として国家認定の称号”Maitre Emailleur”を持ち、日々制作に打ち込むだけではなく、世界中から技法を学びに来る人々への指導にも当たっておられます。当店では氏のオリジナル・キャラクターのインテリア作品をご紹介していますが、リモージュ七宝焼のメインは銅板のベースをカンバスにヘラや筆で絵を描いてゆく「七宝絵画」です。氏の工房兼ギャラリーには額に納められた精巧な絵画作品が並び、常に新作が発表されています。

アラン・グラフイユ氏(以下、A.G): 私は「火の芸術」を誇る街、ここリモージュの生まれです。父は磁器工芸家で工場を設立して仕事をしていました。私はほんの小さな子供の頃から絵を描くことが大好きでしたので、ゆくゆくは絵画の教師になろうかと考えはじめていたところ、実際に教師をしていた父の知り合いから、この道はあまりお薦め出来ないとアドヴァイスを受けたのです。それで進むべき道を探していたところ、エマイユ(七宝焼)にたずさわる人たちに出会いました。こうして15歳の時、私は七宝工芸家への道を選んだのです。

- 七宝工芸はどのようにして学び始めたのですか。  

A.G: まず、その15歳のときにリモージュの美術学校に入学しました。そして卒業後は数年間、七宝工芸家の工房で働きました。しかしやがて兵役の歳になってパリに出て消防士の活動に従事することになり、次にリモージュに戻ってきたのは兵役が終わった20歳のときでした。さて、これからどう生きていこうかと数ヶ月間考えあぐねた末、自分の工房を設立する決心をしたのです。資金は両親が援助してくれました。

- 二十歳で独立工房とは勇気のいる決心ですね。  

A.G: 場所はリモージュの近郊でしたが、開業当初から好調な出足で制作注文は増える一方でした。一年もたたないうちに助手を雇い入れ、また宝飾専門のディーラーの協力で顧客はフランス全土に広がりました。そして二年後には自然環境に恵まれた別の場所に、より大きな工房を造りました。顧客も順調に増えて工房「グラフイユ」の名はフランスだけでなく、お隣のルクセンブルグ、ベルギー、ドイツ、イタリアを経て広くヨーロッパに知られるようになったのです。

- 作品のインスピレーションはどんなところからくるのでしょう?

A.G: 社会全体でしょうか。常にさまざまな分野の出来事に目を配り、注意深く観察するようにしています。そんな中から、例えば宗教的なテーマや花の流行などが掴めてくるのです。

- 今日、リモージュの七宝工芸家はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。

A.G: どのような見方かによって変わってきます。もし「モダン」あるいは「コンテンポラリー」と呼ばれる前衛的な作家も含めると、このリモージュ近郊には30人以上の工芸家がいるでしょう。しかし個人的には、それらの作家がつくる抽象的な作品をリモージュ・エマイユ(七宝焼)とは認めたくありません。いわゆる「クラシック」とよばれる伝統的なエマイユには高度なデッサン力も要求されるのです。そのような伝統に則った制作をしている工芸家は8人くらいしかいないのではないでしょうか。焼成の技術にしても伝統的なリモージュ・エマイユは800度以上の熱で10〜15回もの焼成をかさねて、慎重に発色の鮮明さや輝きを得るのです。本来は12回以上焼成をしなければいけないところを半分の6回ほどでごまかしてしまったようなものには鮮明さが欠けています。しかし、巷にはそのような作品も出回ってしまっているようです。これは非常に残念なことです。

- 現在のこの場所の工房はいつ頃からあるのですか。

A. G: 1990年からですね。制作見学に開放できて販売ギャラリーも兼ねた工房をリモージュの中心部に探していたのです。

- 確かにグラフイユさんの工房は観光客の為のガイド付き見学コースにも指定されていますね。

A.G: ここでは研修もやっているのですよ。いままでもフランスだけではなくベルギーや、そして日本からもリモージュ七宝を学びにこられる方がいらっしゃいました。初心者の方でも参加できますが、出来れば八日間ほどの時間をつくって来られることをお薦めします。八日間でおよそひととおりの基礎が学べるからです。

- 今日はどうもありがとうございました。

AGアトリエ風景 制作風景

インタヴューを終えて :

伝統技法に徹したグラフイユ氏ですが、絵画の作風は多岐に及んでいます。近年では世界で初めて七宝絵画によるマジカルアイ(3Dグラフィックス)作品を完成させています。さまざまな分野からインスピレーションを得るという氏の好奇心は次にどんな作品を見せてくれるでしょうか。

インタヴュー 2006年夏