リモージュ市概要

リモージュ市はフランス中部、オート・ヴィエンヌ県の県庁所在地。隣り合う他の2県と合わせてリムーザンと呼ばれる地方の中心都市でもあります。ヴィエンヌ川のほとり、緩やかな丘の上に発達した街で多くの自然に囲まれています。

  フランス地図 北緯45.49度、東経01.15度。平均海抜294メートル

安定した西岸海洋性気候に属しますが、それでも夏冬の激しい気温差は人々に『リモージュに住むことが出来れば、フランスはどこでも住める』と言わしめているようです。しかし近年、酷暑や水不足、あるいは洪水が深刻化しているフランスにあっては、むしろ落ち着いた気候にあると言えましょう。

人口は約14万人。海や国境に接していない中部の特徴でしょうか、比較的保守的な傾向が強く、人々は温厚。古き良きフランスの雰囲気が漂います。治安に関しても「低い犯罪率、高い検挙率」を誇っています。

  

モット広場

街の中心部モット広場。中央の建物の奥行きや窓にご注目。実は建物の壁面に描かれた巨大な「だまし絵」なのです。

ルノワール

「だまし絵」に接近。奥の本物の建物を模倣し、排水管までしっかりと描かれています。そして窓にはフランス印象派を代表する画家、あのルノワール氏が制作に専念する姿が!そう、ルノワールは1841年にこのリモージュに生まれたのです。

  

1960年代以降、とりわけ90年に入ってから今日まで続く大規模な整備計画は、街に地元民も目を見張るほどの変化を与えています。これまでに行なわれた公園・遊歩道の整備、公共施設の建設などは、古い文化を残しつつ快適な街を実現することに成功し、その成果の一端は2001年にヨーロッパ・花の都市No.1に選出されたことによっても現れています。

また、市郊外には最新技術によって産業の発展を促すための研究都市「エステール・テクノポール」が設けられ、その存在はフランスのみならず、世界的にも大きな注目を集めています。

エステール・テクノポール

エステール・テクノポール

  

パリからの距離は南西に約380キロ。アクセスはパリ・オステルリッツ駅から特急列車で三時間(残念ながらフランス新幹線TGVは走っていません)。車の場合は高速道路A-20を通って約4時間。あるいはオルリー空港からリモージュ国際空港まで飛行機でのアクセスも可能です。

古代ケルト人の砦にはじまり、ローマ帝国の都市建設で確固たる存在となったリモージュ。その歴史は猶に二千年を越えるものです。中世には隣り合う二つの街どうしが競い合うという特異な発達をし、後に統合されて現在のリモージュ市に発展していきます。その間、キリスト教の拠点として、またエマイユ(七宝焼)・ステンドグラス工芸の産地として名を馳せ、とりわけ18世紀後半に近郊でカオリン(磁土)が発見されて以降は磁器生産の一大拠点として発展。常にフランスやヨーロッパの文化・産業を語る上で重要な位置を保ち続けて今日に至っているのです。

リモージュ風景

ヴィエンヌ川上流よりリモージュの街を望む

リモージュの一年

リモージュの四季折々をお伝えするコーナーです。年間を通して新しい写真が出来次第、順次アップしてまいります。

  

春

三月

春のパレード

春の予感。パレードの催しに大勢の人出。

 

五月 

春のヴィエンヌ川

ヴィエンヌ川では子供達のカヤックやレガッタの練習が始まります。

  

夏

七月

フランス革命記念日

14日はフランス革命記念日(Fete Nationale)。パリ・シャンゼリセの軍隊、警察、消防隊のパレードが有名ですが、リモージュでも同じくセレモニーが開かれます。写真はリモージュの要人、退役軍人の前に整列する軍隊。奥には消防隊の消防車。この日、夜には駅前の公園から花火の打ち上げがあります。

  

ツール・ド・フランス

2004年、リモージュは有名な自転車レース「ツール・ド・フランス」コースの中継地点に選ばれました。丁度革命記念日の朝、駅前からスタートを切った選手達。

秋

九月  

夏の蒸気機関車

七〜九月のヴァカンス中、月二回往年の蒸気機関車による特別列車が運行。客車も全て古い車両。昔のフランス映画でしか聞くことのなかった汽笛が響きます。日本の機関車とは違う響き。隣の新型特急との対照が印象的。残念ながらこの特別列車は2006年で終了してしまいました。

  

冬

11月

秋のヴィエンヌ川

冬をむかえるヴィエンヌ川。漂うボート。空は益々澄んで美しい。

  

12月

仮設遊園地

クリスマスをひかえて駅前に仮設遊園地が出現する。普段は静かな街角に音楽と子供達の歓声が溢れます。

  

クリスマスのパレード

街はイルミネーションに飾られ、パレード、マルシェ(市場)で賑やかな年末。

一月

雪景色1

雪景色。 ベネディクタン駅付近。雪遊びをする子供達。

   

雪景色2

古い木組みの建物(コロンバージュ様式=ハーフティンバー様式)が並ぶ「肉屋通り」。絵本に出てくる風景のよう。

  

リモージュと日本

1. 島崎藤村とリモージュ

 果たして日本人で初めてリモージュを訪れたのは誰だったのでしょうか。

 このような地味なテーマに答える資料を期待するのは難しそうですが、明治維新の開国以来、ヨーロッパを訪れる日本の勇士達が辿ったコースのひとつに地中海にあるフランスの港町マルセイユに上陸、そこから北上しパリ、あるいはドイツ方面へ向かう方法があったことから、あるいはその途上でリモージュに一宿一飯した人物が存在したかもしれないと思うと何だか楽しくなります。

 知り得る中で最初にリモージュに登場する日本人は、かの有名な浪漫派の詩人、小説家の島崎藤村です。1913年からの3年間、パリに滞在していた藤村は14年に勃発した第一次世界大戦の戦火を逃れる為に、約半年間リモージュに疎開していたということです。現在、街の中心部からヴィエンヌ川を渡った反対側の地区に藤村が滞在していたとされる住居が現存しています。

 

2. 学生の交流

 パリに何千人という単位で日本人が住んでいるのとは対照にリモージュに住む日本人は僅か十数人。その大半が交換留学生としてリモージュ大学で勉学に励む明治学院大学の学生さんです。前述の島崎藤村が明治学院大学の出身であったというのが交流のきっかけとのことですが、実際には教授同士の深い親交の賜物であるとは実際に学生さんから伺った話です。

 

3. 姉妹都市

 2003年11月、愛知県瀬戸市とリモージュ市は姉妹都市協定を結びました。お互い焼き物の産地として長い歴史を誇る街同士、経験と技術を共有して今後の産業の発展をめざす目的です。

 特に瀬戸市では2005年開催の愛知万博「愛・地球博」を主眼に、日本の地方自治体としては異例の在リモージュ瀬戸市事務所を設置。2006年春までの在所期間、産官学をとおした産業・文化交流の橋渡し役として機能しました。

 セラミックス技術のシンポジウムや市民交流事業をはじめとして、2004年11月にはリモージュ市庁舎に於いて瀬戸焼きの魅力を紹介する展覧会「SETOYAKI」が開催、大きな反響を呼びました。また一方の瀬戸市では2005年の夏、万博開催期間中に「世界焼き物大博覧会」を開催。特に七月をリモージュ月間と位置付け、リモージュ焼を体系的に日本に紹介しました。

SETOYAKIポスター 「SETOYAKI展」のポスター

 お互いの姉妹都市交流を記念して、リモージュ市ではリモージュ・ベネディクタン駅を一望する道路に「SETO通り」が命名され、また瀬戸市側では市民交流センター「パルティせと」前の広場に「リモージュ広場」の名が与えられ、リモージュ市章のプレートが埋め込まれています。

SETO通り 01 SETO通り 02

 

 今年(2006年)も企業同士の交流や交換学生、スポーツ団体の交流が行なわれました。姉妹都市交流は今後も続けられます。

4. 音楽

 リモージュでは毎年夏「Epsival」(イプシヴァル)と呼ばれる金管楽器を中心とした音楽祭が開催され、毎回日本からもアマチュア・ブラスバンドの方々が参加され、好評を博しています。

 また二年に一度、リモージュ市とリモージュ国立地方音楽院(コンセルヴァトワール)が中心となって「Concert des Cites Unies」(コンセール・デ・シテジュニ)というコンサートが開かれます。これはリモージュ市が姉妹都市関係を結ぶ各国都市の音楽院の学生を招聘し合同オーケストラを組織するもので、それぞれの都市が自国のオーケストラ曲を持ち寄り全員で演奏します。2005年度は新しく姉妹都市となった瀬戸市からも学生演奏家(金管・打楽器の女性チーム)が参加し活躍しました。日本からの楽曲は外山雄三氏の「管弦楽のためのラプソディー」でした。

 次回の開催は2007年です。

コンサート・ポスター コンサートのポスター